2010年02月13日

サラリーマン川柳に潜むものA

<
span style="color:#650032;">誰が書いているか
 



 疑問文で終わらせ、何かを”斬った”つもりになる

 …そんな無責任な自己主張には誰からも、どんなご褒美も与えられることはなかろう。

 それに何もないところにわざわざ重大な問題を見出し続ける”嗅覚”なども眉唾だ。

 そもそもサラリーマン川柳とは、実感をそのまま詠むものではなく、諧謔と言うルールにコントロールされた「いかにもありがちな悲哀」を捏造するゲームなのだ。

 リストラをテーマにした川柳は、実際にリストラされたサラリーマンが投稿したものではなく

 標語やネーミング公募で毎月QUOカードを射止めている単なる公募マニアである可能性が高い。

 妻の暴力をテーマにした川柳は、女性の手によるものかもしれない。

 おそらくサラリーマン川柳の作品そのものと作者の関係は、見事に”創作”と呼びうるものだ。

 


見栄と遠慮と諧謔で隠そうとされたもの



 しかし入選作がメディアで共有される様子は、異常である。

 創作に過ぎないものに共感し、同情し、「世相を現す」などとおおげさに賞賛する。

 この遊びに参加している全ての人々に共通しているは、細心の注意を払い、見栄と遠慮と諧謔であることを隠そうとしているということだ。


 あることとは、現実だ。

 笑えない、つまらない現実。


 例えば…

 心臓移植手術が必要な少女がいて、募金活動が始まったとする。

 アメリカで移植手術が必要なため一億円必要なんです、とネットで募金が募られる。

 その時、けして明らかにされてはならないのは、

 両親が金持ちであること、持ち家で、年収が一千万円以上あること。

 募金を得るためには、それらの事実は徹底的に隠蔽されなくてはならない。


 貧乏自慢の川柳が大金持ちによって詠まれてはならない。

 しかしおそらくは豊かで恵まれた人々によって「哀れなサラリーマン」という都市伝説が流布されていく。


 なぜ浮浪者川柳、路上生活者短歌ではないのか 
 


 理由は簡単である。

 でも次に書こう



posted by uj at 22:06| シドニー | Comment(0) | TrackBack(0) | 禁じ手 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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